AMFボウリングワールドカップ(現在のQUBICA AMF ワールドカップ)が60周年を迎え、その長い歴史を振り返る中で、改めて注目を集めているのが女子部門の創設だ。現在、AMF公式Facebookページには当時の歴史的資料が投稿されており、1972年大会の記事には、世界の舞台に初めて挑んだ日本人女子選手・松下陽子の姿がはっきりと写っている。
AMFボウリングワールドカップは、1954年にスタートした世界有数の国際大会で、長らく男子のみで争われてきた。しかし1972年、ドイツ・ハンブルク大会で初めて女子部門が正式に導入され、歴史が大きく動く。その記念すべき舞台に、日本代表として立ったのが松下陽子だった。まだ女子ボウリングの国際的地位が確立されていなかった時代に、日本から世界へ挑戦した意義は計り知れない。

当時の資料には、初代女子チャンピオンとなったメキシコのイルマ・ウレアや、タイのオイ・スリサードらと並び、松下の名前と姿が記録されている。これは単なる出場記録ではなく、日本女子ボウリングが世界の舞台へ踏み出した“証”でもある。
AMFの資料に、60年を経た今も松下陽子の姿が残されていることは、日本のボウリング界にとって大きな誇りだ。彼女の挑戦があったからこそ、現在の日本女子選手たちが世界を目指す道が続いている。ABFボウリングワールドカップの歴史は、松下陽子という先駆者の足跡とともに語り継がれていく。