JPBAプロ倉田萌が語る永久A級ライセンス決定の瞬間と5年間の重み【独占】

倉田萌 写真:ご本人提供

2025年シーズンを終え、倉田萌が永久A級ライセンス(金枠)を取得した。舞台となった全日本選手権は、予選通過と準決勝9ゲーム完投が求められる極限の戦いだった。

金枠取得に必要なのは、優勝や第一シードではない。5年間にわたってアベレージと規定ゲーム数を積み重ね続けること。途中で条件を満たせなければ、すべてが白紙に戻る。多くのプロが挑み、断念してきた最も厳しい取得ルートだ。プロ10年目の今季を逃せば、再び5年。プロ15年目まで続く現実を前に、倉田は逃げずに挑む選択をした。

最後のゲームを投げ切った瞬間、倉田はしばらくその場を動けなかったという。ガッツポーズも涙もなかった。ただ、張り詰めていた気持ちが静かにほどけていく感覚だけが残っていた。

Bowling Agent(ボウリング・エージェント)は、金枠取得という節目を迎えた倉田萌にインタビューを行った。本記事では、全日本選手権で背負っていた重圧、崖っぷちの一年をどう受け止めていたのか、そして歴代111人目として名を刻んだ瞬間の率直な思いを、本人の言葉で伝える。


「投げ切るしかなかった…」倉田萌が語る金枠決定の瞬間と、全日本の重圧

ー2025年シーズンを終えて永久ライセンス(金枠)を取得されました。決まった瞬間の感情と、全日本での条件(予選通過+準決勝9ゲーム)について教えてください。

倉田萌(倉田):一番大きかったのは「ほっとした」です。最後の全日本で、予選通過と準決勝のゲーム数を投げ切ることが絶対条件だったので、ずっと緊張していました。もし予選落ちをすると3〜4ゲーム分足りない状況で、予選を通って準決勝9ゲームを投げ切れたら金枠、と言われていました。投げ終えた瞬間に力が抜けて、めちゃくちゃ安心しました。

ーその条件はいつ・どんな形で伝えられ、予選中〜通過後はどんな気持ちで臨んでいましたか?

倉田:全日本初日の、プロ全員が集まるミーティングで発表されました。みんなの前で「今年の金枠候補は私ともう一人で、条件はこうです」と言われて、正直「そこで言うんだ…」って思いました。

予選通過が本当に絶対条件だったので、ずっとドキドキしながら投げていました。ボーダー(順位)も聞きながらで、私は途中からずっとその付近にいたので、緊張感がずっと続いていました。

予選を通った後は「あとは準決勝を投げ切るだけ」と思いつつ、逆に変な緊張もあって…(笑)。とにかく「寝坊しないように」「怪我だけしないように」って考えていました。

ー寝坊まで心配していたのは意外です。当日やゲーム数も含めて、その“最後の山場”はどんな感じでしたか?

倉田:普段ほとんど寝坊しないし、試合で寝坊なんてしたことないんです。でも今回は「投げ切らなきゃいけない」条件があったので、そこだけは妙に心配でした。

当日は寝坊せずにちゃんとセンターへ行って、受付もして、あとは怪我なく投げ切るだけだと思っていました。準決勝も気張りながら投げて、無事に投げ切れて本当に安心しました。

かなりのゲーム数を投げたシーズンで、予選〜準決勝まで含めて23ゲーム、準決勝を入れると33ゲームくらい、ずっと気張りながら投げていた感覚です。


倉田萌 写真:ご本人提供

結果より条件を追い続けた一年。倉田萌の2025年シーズン

ーシーズン中「今年はいけそうだ」と思えたタイミングはありましたか? それでも年初から目標は明確だった?

倉田:それが、最後まで「取れそう」と思えた瞬間はあまりなかったです。ずっと条件を満たすことだけを考えていました。

でも目標自体は最初から明確で、毎年1月のサッポロオリンピアボウル(下記オリンピア)のチャレンジで(前年の)4年目突入の時に「今年の目標は金枠を取ることです」と皆さんに言って、2025年をスタートしました。優勝とか第一シードとか目標は色々あるけど、2025年はほぼ金枠だけを考えて過ごしました。

ー途中経過で大きかった試合や出来事は?(東海オープン、ラウンドワンカップ予選、複数シフトの判断も含めて)

倉田:夏の東海(中日東海オープン)の5位は大きかったです。ゲーム数も稼げたので、あれは本当に助かりました。

ラウンドワンカップ予選も複数シフト投げました。私は最初が札幌会場だったので、できれば地元(札幌)で通りたかった気持ちもありました。でもその時期はボウリング自体が良くなくて、予選もあまり通ってなかったので、通れたのは嬉しいけど複雑でした。

もし最初のシフトで通っていたら、後ろのシフトは投げなかったと思います。実際1シフト目は3位で、2位と同ピンでローハイ差で落ちてしまって…。もしそこで通っていたら、結果的に全日本の準決勝を投げてもゲーム数が足りない可能性もあったかもしれなくて、そうなると優勝しに行かないとダメだったと思います。

ー2025年にメンタルが折れそうな瞬間、そして乗り越えられた支えは何でしたか?

倉田:たくさんありました。7月の大岡産業まで、東海オープンの5位以外ほぼ予選落ちで、試合も減った年でした。調子も良くなくて、本当に大丈夫かなって落ちる瞬間は多かったです。

それでも1年を乗り越えられたのは周りの方の支えです。家族、お客さん、応援してくれる人たちが、金枠のことを気にしてくれて、ダメでも前向きになれる言葉をたくさんかけてくれました。本当に周りのおかげで乗り越えられました。

ープロボウラーにとってA級ライセンス(金枠)とは? その中で倉田プロにとっての意味、尊敬している存在も教えてください。

倉田:正直、取ったから何かが劇的に変わるわけではないです。でも私にとってはすごく意味があります。5年連続努力したものが形になるものだと思っていました。今まで取っている人を本当にすごいと尊敬していたので、自分にとっても大きな証です。


「変わった実感はない。でも、結果はついてきた…」5年間の積み重ねと金枠の意味

ーこの5年間(実質6年)で「変わった」と感じる部分、そして金枠取得は競技人生の中でどういう位置づけですか?

倉田:自分の中では大きく変わった感覚はあまりないです。ただ、オリンピアボウルに所属してから予選を通れる数が増えたり、環境が変わったことで結果がついてきた、というのはあります。コツコツ努力すれば結果に出る、という考えはずっと変わらないです。

金枠を取れたことは、2026年は新しい目標をしっかり立てて頑張ろう、という気持ちにつながっています。去年ダメだったらまた5年やり直しで、そうなったら多分もう無理だと思っていたので、決められたことで前を向けました。若い上手い子も増えてきて、私も今年30歳になるので、今の第二シードをいつまで維持できるか分からない中で、ちゃんと決められたのは大きいです。

ーコロナ禍で2020年が“余分に1年”になった特殊なシーズン、そしてオリンピアでの環境変化はどう捉えていますか?

倉田:私はめちゃくちゃ良く捉えています。2020年は試合が少なくて、普通ならゲーム数が全然足りない年だったと思います。でも2年間で1シーズン扱いになったのはラッキーでしたし、その頃から調子も上がっていった感覚があります。

オリンピアの環境変化はもちろん成績に影響しました。オリンピアに来てから第二シードに入れたりもして、本当に感謝しています。いろんな方と投げる機会が増えて、皆さんに鍛えていただいています。


一人で磨いたプロ初期と、いま向き合う“伝える難しさ”

ープロになる前〜初期はどんな環境で練習していて、指導者(コーチ)的な存在はいましたか?

倉田:プロになってからはずっと岩見沢のポルタトーホーボール所属でした。練習はずっとそこでしていて、一人で黙々と投げることがほとんどでした。岩見沢では誰かと投げる機会が少なかったです。

指導者(コーチ)的な存在は、いないですね。いろいろアドバイスはいただきながらですが、「この先生がいる」という感じではなかったです。

ー現在、倉田プロご自身がボウリング講座を開き、指導者としても活動されていますが、これまで指導者がいなかったご自身が「教える立場」になってみて、指導の難しさは感じていますか?

倉田:私自身が指導者(レッスン担当)になって、難しいと感じています。少年団を見たり、オリンピアでもレッスンを始めたりして、試行錯誤しています。指導で一番難しいのは「言葉にすること」です。見ていると「もう少しこうした方がいい」と思うけど、それを相手に伝えて理解してもらうのが難しい。どう伝えるかがすごく大事だと思っています。


JPBA女子プロ 48期生 写真:倉田萌ご本人提供

「あっという間だった10年…」時間の使い方、妹との刺激、そして追い続ける存在

ープロ10周年。この10年は長かった?あっという間? そして時間の使い方での反省・改善点は?

倉田:終わってみたらあっという間でした。19歳だった私がもう10周年か、という感じで、いろんな場所で10周年のイベントもやらせていただきました。

時間の使い方では、オリンピアに来てから人と投げる時間は増えたけど、一人で練習する時間がコロナの頃よりだいぶ減ったのは後悔しています。しんどくても1日3ゲームでもいいから、一人で考えて練習する時間は作るべきだったと思います。11月に練習したら、プリンスカップと全日本で結果につながったので、そこは反省点です。

休みの日に出て練習するしかないけど、休みだから休みたい気持ちもあって…そこが課題でした。

ー妹の倉田結がプロになったことは刺激になりましたか? また、妹さんにどうなってほしいですか?

倉田:はい。妹は「私を見てプロになった」と言ってくれているので、格好悪いところは見せたくない、という気持ちがあります。一緒に練習する時間も、自分にとってすごくいい時間です。

妹には焦らずに頑張ってほしいです。順位戦の結果が出ないとトーナメント経験も増えないし、経験不足になりやすい。私自身も時間がかかって今があるので、結果が出る子を見て焦る気持ちは分かるけど、自信を持って焦らずやってほしい。いずれ一緒に出られるトーナメントが増えたら嬉しいので、練習にもたくさん誘おうと思います。

ー尊敬しているプロボウラーや、ライバルだと思っている選手がいれば教えてください。

尊敬しているプロは、ライバルと言うのはおこがましいんですけど、寺下智香プロです。ボウリングを始めてすぐからずっと一緒にやってきて、目標というか、ずっと追いかけて一緒に頑張りたい存在です。


”歴代111人目”の誇り。5年間の努力で掴んだ金枠と、次なる目標は“優勝”

ーA級ライセンス”歴代111人目”。名誉としてどう受け止め、取得の仕方への声も含めてどう感じていますか? そして2026年の目標は?

倉田:すごく光栄です。ただ、金枠を取っている方は全日本優勝で一発だったり、第一シード経験がある方が多い印象です。私みたいに「200ゲーム(ゲーム数とアベ)だけ」で取った人は最近あまりいないと思います。

そういう取得の仕方に対して、心ない言葉もあります。「第一シード入ってないのにね」みたいに言われたり。でも今はトーナメント数も多くない中で200ゲームに到達するのは私の中では本当に大変なこと。簡単ならもっと取っている人がいるはずだし、上手い人でも取れてない方もいます。だからこれは5〜6年間努力してきた証だと思っています。

2026年は「優勝」と「第一シード」を目指したいです。努力が否定されないように、しっかり練習して結果を出したいと思っています。


永久A級ライセンスの取得には、いくつかの方法がある。大会で突出した結果を残し、第一シードを獲得して条件を満たす選手もいる。

倉田萌が選んだのは、アベレージと規定ゲーム数を5年間継続して積み重ねるルートだった。途中で条件を満たせなければ、それまでの成績はすべて無効となる。プロ入り10年目となる今季を逃せば、再び5年間の積み上げが必要だった。

その状況の中で、倉田は条件を満たし、永久A級ライセンスを取得した。優勝や第一シードではないが、継続と安定が求められる取得方法であり、簡単な道ではない。取得後、倉田は「変わった実感はない」と語っている。大きな感情を表に出すことはなく、淡々と結果を受け止めていた。

歴代111人目という数字は、特別なものではないかもしれない。しかし、5年間条件を途切れさせずに積み重ねた選手だけが到達できる結果でもある。

今後は、優勝や第一シードといった次の目標を見据えながら、競技と向き合っていくことになる。永久A級ライセンスは、その過程の一区切りに過ぎない。

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