漫画『きゅぽかの』は、ボウリングファンの間で一大ムーブメントを巻き起こした作品だ。その生みの親である漫画家・渡辺大樹先生は、30歳からボウリングを本格的に始め、18年以上のキャリアを積み重ねてきた異色の経歴を持つ。
ボウリングと漫画、二つの情熱を重ね合わせたことで誕生した『きゅぽかの』は、やがて大会やイベントにまで発展し、ボウリング界全体を揺るがす存在となった。
今回のインタビューPart2では、作品誕生の裏側から『きゅぽかの杯』に至るまでの歩み、そして現在の休載についての思いを語っていただいた。
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漫画『きゅぽかの』誕生の裏側
―『きゅぽかの』を描くアイデアは、いつ頃から生まれたのですか?
渡辺大樹先生(以下、渡辺): きっかけは30歳の頃、ちょうど初めて連載をしていた時期でした。当時は忙しくて友達と直接会う機会がなかなかなく、その代わりに一緒にボウリングを始めた友人とMSNメッセンジャーで毎日のようにチャットをしていたんです。画像や動画、リンクを自由に送り合えて、今でいうLINEのような存在でしたね。
その友人はニコニコ動画をよく見ていて、ちょうどKADOKAWAと組んで「萌えアニメ」をネットで配信し、コメントで盛り上がるような文化が広がっていました。中でも『けいおん!』という作品が大人気で、普通の女子高生たちが軽音部に入り、音楽や日常を描くスタイルが「日常系」と呼ばれてブームになっていたんです。友人もその作品が大好きで、「これ、ボウリングでできないかな?」と僕に言ってきました。
当時、僕の仕事場でアシスタントをしてくれていた友人は逆に「萌え作品」が大好きで、みんなで「可愛い女の子を描けるようになろう」と練習するようになりました。『けいおん!』や『涼宮ハルヒの憂鬱』、『らき☆すた』など、当時の人気作を真似しながら「俺の方が可愛い」なんて言い合いながら描いていたんです。
その過程でたまたま生まれたキャラクターや設定を、僕がイラストにまとめて引き出しにしまっておきました。当時は自分の連載もあり、表に出すつもりはなかったんですが、それが後に『きゅぽかの』につながっていくんです。
―実際に作品化に至った経緯を教えてください。
渡辺: 最初の連載(『弾丸ドラッガー』)が2年半ほどで終わった後、いくつかウェブ連載や他社での仕事をしていました。その中で、講談社の編集さんが別の出版社に移ることになり、「何か企画ありませんか?」と声をかけてもらったんです。そこで机の引き出しからアイデアを出して、「実はこんなのがあるんですが」と見せたところ、「これは面白いですね」と即OKをいただきました。
驚いたのはスピード感です。最初の連載を取るまでには4年、実際には7年近くかかっていたんですが、『きゅぽかの』はたった1か月で決まったんです。自分でも「意味が分からない」と思うほど、とんとん拍子に話が進みました。
―当時の流行や他作品との関係性はありましたか?
渡辺: ちょうど「普通の女の子が、マニアックな趣味やジャンルに触れて才能を開花させ、仲間との絆を築いていく」というスタイルが流行していた時期でした。『けいおん!』をはじめ、バイクをテーマにした『ばくおん!!』など、同じ潮流の作品がすでにありました。『きゅぽかの』もボウリングを題材にしたことで、その流れに自然に乗る形になったと思います。